2012年5月25日金曜日

僕の母校と僕が美容師になった理由。




「どうして美容師になろうと思ったんですか?」


これよく聞かれる質問。


日本には現在20万件の美容室(理容室は除く)と40万人を超える美容師(理容師は除く)がいる。これだけの数があれば様々なコンセプトのサロンがあればいろんなタイプの美容師がいる。




僕の場合ちょっと複雑で説明が難しいのだが。。


美容師人生のスタートとなった僕の母校である"国際文化理容美容専門学校〟に僕のインタビュー記事が掲載されたので引用させて頂きました。(自分で説明するよりかなり分かりやすく説明されてます。。。)


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『隣りの芝は青く見える』。


言い古された 慣用句かもしれないが、恐らく真理だ。但し、隣りの芝が本当に青いか どうかは、隣りに行って みなければ分からないことだ。表参道に店舗を構える NORA で、テクニカル・ディレクターを務める田中 衛 さんは、一度就職した後に美容界に憧れ、その憧憬を現実のものとした。


福島の高校を卒業した田中さんは、高校が工業系だったことから、そのまま東京の施工管理会社に就職、上京を果たす。世の中は 折りしもの好景気。建設ラッシュが続き、田中さんは お台場や品川など現場を数多く経験することとなった。そこで毎日 目にするのは、職人たちの働きぶり。正直、カッコいいと思った。


そこに好感を持っていた 美容という仕事と、クリエイティブなものへの興味が加わり、憧れは美容師という輪郭を持ち始める。そうなると居ても立ってもいられない。田中さんは3年で会社を辞め、美容学校へ入学することにする。が、資金が足りない。やむなく1年間アルバイトをして入学金を揃えた。ところが入学した後も資金難は続く。学費も家賃も食費も全て放課後のアルバイトで捻出しなければならなかった。同期生からの4年の遅れを取り戻すために放課後に練習したいが、それも叶わない。取り戻せない4年。焦りは募った。


就職しても 彼はガムシャラだった。1店舗を経て、原宿の有名サロンの面接を受けた。『日本女性の美意識を上げるためには、美容師のマンパワーを上げなくてはならない。そのために御社の力を借りたい』。大風呂敷を広げた。結果、そのサロンに就職した彼は、8年間そのサロンで 有言実行すべく身を粉にして働いた。そして悟る。この仕事は お客様との二人三脚なのだと。いつしか彼の中の "失われた4年" という意識は消えていた。


時を同じくして、NORA 立ち上げのハナシが持ち上がった。女性の自立を題材に イプセンが著した戯曲『人形の家』に登場する 主人公ノラの名を 冠したサロンだった。 "日本女性の美意識を上げたい" という思いと "女性の自立" という店のテーマが、根の部分で繋がって見えた。それから3年、彼は現在、NORAの テクニカル・ディレクターとして、店の技術全般を取り仕切る。


「美容という仕事は "人間やってる" 実感がある」と彼。どうやら、田中さんにとって 隣りの芝は、本当に青かったようだ。



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心から素敵な仕事だなと、15年経った今でも素直に思える〝美容師〟という仕事。


初心を忘れずとよく言うけど好きな事を見つけて好きな気持ちが続けば人っていうのは案外いつまでも初心の心を忘れないと思う。逆に言うと初心からブレてきたら好きじゃなくなったってこと。


初心を忘れない ≒ 好きな事


人生これからですが楽しい事をまだまだ模索しながら美容師人生楽しみたいと思います。


田中 衛

NORA Journey

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NORA HAIR SALON

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